シェイクスピアの恋愛観 ― 世界を魅了し続ける劇作家の恋物語 ―

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ウィリアム・シェイクスピア。
詩と劇の間に生き、仮面と素顔のはざまで人の心を描き続けた。

彼の書いた『ロミオとジュリエット』や『ハムレット』を思い出してほしい。
愛はいつも、剣のように鋭く、酒のように甘く、そして毒のように危うい。

けれど——。

そんな愛を描き続けた男自身の恋は、果たしてどんな物語だったのか?
舞台の外で、彼は誰に恋し、何に傷ついたのか。

この物語は、詩人シェイクスピアの恋愛観をめぐる、
沈黙の余白にそっと触れる試みである。


ストラトフォードの若き日

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Gerd Thiele, User Gerdthiele on de.wikipedia

言葉と孤独に包まれて

シェイクスピアは1564年、イングランド中部のストラトフォード・アポン・エイヴォンに生まれた。
父は手袋職人であり地元の名士だったが、後年には経済的に苦しくなる。

彼はグラマースクールでラテン語と古典文学に親しんだものの、大学には進学していない。
学歴よりも、耳と目と心で、彼は世界を学んだ。

青年期の彼は記録が少ないが、想像するに、
賑やかな市の声と、紙の匂いに囲まれて、
言葉だけが心の居場所だったような、そんな孤独な若者だったのではないか。


若き日の結婚と、言葉が芽吹く街

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18歳の結婚

シェイクスピアが結婚したのは、一生でただ一人、アン・ハサウェイだけである。

彼が18歳、アンが26歳のときのことだった。
アンはストラトフォード郊外ショッタリーの農家の娘で、実家は比較的裕福だったと言われている。

ふたりの出会いの詳細は記録に乏しいが、近隣に住む家族同士で何らかの交流があった可能性は高い。

交際期間は不明だが、結婚の半年後には第一子スザンナが誕生しており、「授かり婚」であったことは確かである。
形式的な結婚手続きが急がれた背景にも、それが影響していると見られている。

この結婚は“恋愛”というより、“責任”だったのかもしれない。

ふたりの関係に熱のようなものが感じられないのは、
シェイクスピアの作品に「幸せな結婚」がほとんど登場しないこととも無関係ではないだろう。

とはいえ、アンとの結婚生活の詳細はほとんど記録に残っておらず、
劇作家としての成功の影には、長い別居生活もあった。

彼は、家庭よりも言葉に情熱を注いでいった。

劇場と欲望の都

20代半ば、彼は単身ロンドンへ向かう。

当時のロンドンは、エリザベス女王が治める黄金期。
演劇と芸術が花開き、劇場は庶民から貴族までを熱狂させた。

路地裏では詩人と役者が議論を交わし、
パブでは一杯のエールを片手に、未来の戯曲が芽吹いていた。

そんな都市の喧騒と湿気のなかで、若きシェイクスピアは言葉を磨き、欲望と芸術の狭間に身を置いた。

ロンドンでの自由な生活の中で、彼には複数の愛人がいたという説もある。
だがそれを露骨に語るのではなく、詩の行間にこそ彼の心の揺れがあった。

裏切り、嫉妬、そして情熱の炎——
静かな家庭よりも、心をかき乱す恋こそが彼の創作の源だったのかもしれない。
演劇と詩作の才能を発揮し、瞬く間に人気劇作家となった。

この頃から、彼の作品には官能的な表現が増え始める。
『ヴィーナスとアドニス』や『ルークリース陵辱』など、性と死が交錯する詩を多く発表したのもこの時期だ。

愛とは何か?
快楽とは?
女とは?

シェイクスピアは劇場の裏側で、それらを体験し、そして書いた。


詩に棲む、恋の幻影たち

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黒衣の女

シェイクスピアのソネット集には、ひときわ謎めいた存在が登場する。
“Dark Lady(黒衣の女)” と呼ばれるその人物は、黒髪の官能的な女性。

彼女は美しいが残酷で、欲望を煽り、裏切りもする。
シェイクスピアは彼女に心を乱されながらも、強く惹かれていく。

私を捨てよ、それでも私はあなたを求める——

そんなニュアンスが込められた詩行が、いくつも残っている。

その正体は、黒人の女性だった説、既婚女性だった説、
あるいは男たちの理想の投影だったという説もある。

さらに注目すべきは、この“黒衣の女”が、ソネットに登場する“美しき青年”とも関係を持っていたという解釈が存在することだ。

つまり、詩の語り手であるシェイクスピア自身が、
恋の三角関係の当事者だったとも読める。
裏切られ、翻弄され、それでも愛し続けた彼の姿が、詩の行間から浮かび上がる。

確かなのは、彼女が“愛と性と罪”をいっしょくたにした、
ひとつの象徴として、彼の心に棲みついていたということだ。

美しき若者

ソネット集の前半には、ある“若い貴族”に宛てた詩が多く登場する。
その人物は、若く、気高く、美しい。

シェイクスピアは彼に対して、親愛を超えた情熱を注ぐ。

その瞳が、夜を照らす星よりも私を惑わせる

といったフレーズは、ただの友情ではない。

この“美しき青年”の正体も諸説あるが、
彼が同性愛的な感情を抱いていたことは、少なくとも詩の上では明らかだ。

また、この青年と“黒衣の女”のあいだに何らかの関係があったと読む学者もいる。
詩のなかで、語り手は二人に同時に裏切られるかのような悲嘆を綴っており、それは愛と嫉妬、憧れと苦悩が絡み合う複雑な構図を描き出している。

愛のかたちに名前はいらない

女を愛し、男にも惹かれた。
純愛もあれば、快楽もあった。
時に軽く、時に深く、彼は愛という形のないものに、
言葉という輪郭を与え続けた。

それはもしかしたら、自分の内側に渦巻く得体の知れない欲望を見つめるための、
彼なりの祈りだったのかもしれない。

実際、彼の劇には「恋のかたちの曖昧さ」が幾度も登場する。

『十二夜』や『ヴェローナの二紳士』では、男装した女性が男性から恋される場面が描かれ、性別や愛の境界が曖昧になっていく。

そうした設定の妙は、彼の内面にあった柔らかなジェンダー感覚の表れとも言えるだろう。


喪失と静けさのあいだで

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『ハムレット』に棲む喪失

ふたりのあいだには、長女スザンナのほか、双子の子ども、ハムネットとジュディスがいた。
しかし、ハムネットは11歳のときに夭折しており、これはシェイクスピアに深い影を落としたとされる。

ハムネットが亡くなったのは1596年夏。疫病が流行していた時期であり、病名や詳細な記録は残されていない。

ただ、11歳という年齢は、夢と希望のまっただなかにある。
あまりに早すぎる死だった。

このときシェイクスピアはロンドンで執筆中だったとも、駆けつけたとも言われている。
どちらにせよ、その悲しみは大きく、しばらく作品の発表が途絶える。
アンもまた、言葉にしきれない喪失のなかにあったはずだ。

夫婦のあいだに熱のやり取りがなかったとしても、子を悼む想いだけは、確かに共有されていたに違いない。

『ハムレット』は、父を亡くしたデンマーク王子が復讐と狂気の狭間で苦悩する悲劇だが、その深層には、親子の喪失と再生の物語が流れている。

劇中のハムレットは「生きるべきか、死ぬべきか」と自らに問いかけるが、その根底にあるのは、愛する者を失った者にしかわからない沈黙と空白だ。

息子ハムネットの死と、劇中の王子の名の類似性は偶然ではないという説もある。

彼が息子の名を戯曲に重ねたのだとすれば、
それは詩人としての追悼であり、父としての慟哭だったのかもしれない。


幕がおりたあとに残ったもの

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晩年のストラトフォード

劇場での華やかな生活から離れ、シェイクスピアは最晩年、故郷ストラトフォードに戻った。

娘たちにはそれぞれ結婚後も家族としてのつながりを大切にし、特にスザンナには財産を託している。
シェイクスピアは劇場の外でも、父として、ある種の責任と愛情を持って接していたことがうかがえる。

だが記録によれば、アンとの関係が特別に深かった形跡はない。
遺言書には「妻に我が第二の寝台を与える」とだけ記されていた。

一説には、この“第二の寝台”が夫婦の寝室にあったベッドであり、客人用の第一寝台ではなく、もっとも親密な場所だったとも言われている。
つまりこれは皮肉ではなく、最後の優しさだった可能性もある。

この“第二の寝台”という冷ややかな文言は、後世の多くの解釈を呼んだ。
一説には、皮肉、あるいはかすかな優しさだったとも言われている。

言葉だけが遺された

1616年、彼は亡くなる。
享年52。

その死に際して、多くは語られなかった。
彼の死は劇的ではなく、まるでひとつの幕が、静かに下りるようだった。

だが、彼が生涯で書いた詩や戯曲には、
恋に泣き、欲望に沈み、真実を探した“人間シェイクスピア”が確かに息づいている。

愛とはなにか。
性とはなにか。
赦しとは。
孤独とは。

彼は、問い続けた。
答えの代わりに、物語を残した。

そしてその物語たちは、いまも私たちの心に、そっと恋という火を灯している。

あなたにとって、“言葉でしか触れられない愛”とは、どんな形をしていますか?

本記事は史実に基づいて構成されていますが、一部に著者の創作・想像表現が含まれます。
歴史の行間にある人間らしさも、どうぞ「物語」としてお楽しみください。

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