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ゴッホの恋愛観に迫る|結婚にこだわった天才画家の愛とは?

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フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ。

生前ほとんど評価されることのなかった画家でありながら、死後、世界美術史に決定的な足跡を残した人物として知られている。

鮮烈な色彩と激しい筆致、そして37年という短い生涯──その人生は、芸術の物語として語られることが多い。

しかし本記事では、名画の解説や画家としての成功譚から少し距離を置き、ゴッホの幼少期から晩年までの歴史を振り返りながら、「恋愛観」にフォーカスして読み解いていく。

彼は誰を愛し、結ばれ、愛はどこへ向かったのか。
歴史の教科書には載らない、ひとりの人間としてのゴッホの姿に触れてもらえたら嬉しい。


生まれ落ちた街

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信仰と孤独が育てた「愛=救済」の原型

1853年3月、ゴッホはオランダ南部ズンデルトの牧師館に生まれた。父テオドールは敬虔なプロテスタント牧師、母アンナは植物や風景を描くことを好む感受性豊かな女性で、信仰と自然観察が共存する家庭だった。

彼が生まれたとき、両親は一年前に死産した長男と同じ名前を与えている。これは代替や軽視ではなく、「神から再び授けられた命をそのまま受け取る」という、当時の宗教観に基づく慣習だったと考えられている。

しかし結果としてゴッホは、自分と同名の墓石を目にする環境で育つことになる。生と死、選ばれた命と失われた命が日常的に並置される家庭環境は、彼に早くから「生きる意味」を考えさせる土壌を与えた。

当時のオランダ社会は宗教と秩序を重んじる安定した社会だったが、その均質さゆえに、内省的で感受性の強い彼は、周囲と自分の違いを意識しやすかった。四歳下の弟テオは後に唯一の理解者となるが、幼少期のゴッホは口数が少なく、感情を内に溜め込む子どもだったと伝えられている。

学校に居場所を持てなかった少年

少年期のゴッホは、寄宿制の学校や中等教育機関に通っていたが、この頃に美術を学んでいたわけでも、日常的に絵を描いていたわけでもない。フランス語や英語、数学など一般教養を学ぶごく普通の教育課程にあり、学業に特別な情熱を示していた様子も見られない。

しかし、彼がつまずいたのは成績ではなく環境だった。規律と集団行動を前提とする寄宿生活は、内向的で感情を内に溜め込みやすい彼の性格と合わず、教師や周囲からは「考え込みすぎる生徒」と受け取られていた。彼自身もまた、同年代の生徒たちとの軽やかな友情の中に居場所を見出せなかった。

こうした不適応はやがて限界に達し、ゴッホは15歳前後で中等教育を中退する。この時点でも画家になるという明確な目標はなく、何かに打ち込むより先に、「自分は何のために生きるべきか」という問いだけを抱えることになった。

その代わりに彼が深く傾倒したのが聖書であり、道徳や使命、自己犠牲といった観念である。友情や淡い恋を経験する年頃に、彼はすでに人生の意味を背負おうとしていた。

少年期に人との距離感を学ぶ機会を持たないまま内面世界だけを膨らませていったことが、後年の恋愛で「近づきすぎてしまう心」の原型を形成したのかもしれない。


ロンドンの下宿先

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報われなかった最初の恋

学校を離れたゴッホは、叔父の縁によって大手画商グーピル商会に入り、ハーグ、ロンドン、パリと拠点を移しながら、画商として働いた。

画商の仕事は、絵を描くことではない。

作品を管理し、顧客に説明し、売買を仲介する、いわば芸術と市場をつなぐ役割である。語学力や美術知識が求められ、事務処理や接客が主な業務だった。

ロンドン勤務時代、彼は下宿先で家主の娘(エウジェニー説が有力)と出会う。特別な出来事があったわけではなく、同じ屋根の下で交わす日常的な会話の積み重ねの中で、彼は彼女を人生の伴侶として思い描くようになった。

しかし想いを告げたとき、彼女にはすでに婚約者がいたため、片思いで終わってしまう。誠実であれば届くと信じていた彼にとって、初めて突きつけられる現実だった。

その後も画商として働くが次第に成績は落ちていく。

その理由は、彼の性格にあった。売れる絵を勧めるより、なぜその絵が「正しい」のかを語ってしまう。顧客の好みより、芸術や道徳の話を優先してしまう。売る仕事でありながら、説教をしてしまう人になっていったのである。

やがて情熱も失われ、彼の画商としての道は終わりを迎えた。

辿り着いた決断

画商としての道を閉ざしたあと、ゴッホはすぐに次の進路を見つけられたわけではなかった。

23歳前後からの数年間、彼は定職に就かず、教師を志しては挫折し、やがて宗教に人生の答えを求めて神学を学ぶようになる。
さらにベルギーの炭鉱地帯では、無償の伝道師として労働者と同じ生活を送り、持ち物を手放すほどの献身を見せたが、その姿勢は教会側から「過剰」と判断され、ここでも居場所を失う。

仕事にも、信仰にも、自分を受け入れてくれる場を見出せなかった彼に残ったのは、「誰かの役に立ちたい」という欲求だけだった。

そして27歳のとき、ゴッホはようやく「描くこと」を選ぶ。それは才能への確信というより、他者と世界に向かって自分を差し出せる最後の手段としての決断だった。


拒絶された恋

Gogh kee vos met

画家として描くことを選んだゴッホは、その生活をどのように成り立たせるかという現実的な問題にも直面していた。

彼は手紙の中で、一人で生きることへの不安や、家庭を持つ生活への強い憧れを繰り返し語っている。芸術と日常を切り離すのではなく、両立させるためには、誰かと人生を共有する形が必要だと考えていたのである。

その思いが、やがて具体的な結婚願望として結びついていく。

29歳のとき、実家に滞在していたゴッホは、7歳年上のいとこであるケーと再会する。彼女はすでに結婚生活を経験し、夫を亡くしたあとも、子どもを育てながら現実的な生活を送っていた。

感情だけでなく責任を引き受ける生き方を知る彼女の姿は、長い迷走の末に「生活としての人生」を模索していたゴッホにとって、きわめて具体的で現実的な存在に映った。彼が彼女に強く惹かれたのは、恋愛感情というより、家庭という形を通して人生を立て直せる相手だと感じたからだったと考えられる。

しかし彼の愛し方は、時間をかけて関係を育てるものではなかった。精神的な結びつきを感じた瞬間、ゴッホは結婚という形で関係を確定させようとし、はっきりと求婚する。

だがその判断は、ケーにとってあまりにも急だった。彼女はすでに人生の現実を知る立場にあり、感情だけで未来を決めることはできなかったのである。

彼女の返事は簡潔で、決定的だった。
「No, nay, never」(いいえ、それは違います。決してありません)
そこには迷いも含みもなく、はっきりと線を引く意志だけがあった。

さらに家族も、この結婚を支持しなかった。血縁関係にあることに加え、画家として歩み始めたばかりで生活の見通しが立たないゴッホに、家庭を支える現実性が欠けていると判断されたためである。

居場所を失った彼は、実家を去ることになる。

ゴッホが求めていた現実的な人生のかたちは、明確な拒絶によって、あっけなく砕けていった。


対等になれない恋の反復

シーンを描いた『悲しみ』

娼婦のシーン

実家を出たゴッホは、ハーグへ移る。
街を歩いていた彼は、衰弱した様子の一人の女性に気づき、声をかけて食事と住む場所を与えた。

彼女の名はクラシーナ・マリア・ホールニク。通称シーンだ。
彼女は当時三十代前半で、すでに娘を産んだあと、夫に去られていた。生活は逼迫し、選択肢のない中で男性を相手にする仕事をせざるを得ず、さらにそのとき、彼女のお腹には別の男性の子どもが宿っていた。

拒絶を経験したばかりだったゴッホの目に、その現実は強く映った。恋として選ばれなかった自分と、社会からこぼれ落ちかけている彼女の境遇が重なり、彼は彼女を放っておけなかったのである。

やがて二人は同じ部屋で暮らし始める。

そこには確かに男女の関係もあったが、ゴッホにとってそれは恋愛というより、引き受けるべき生活だった。彼は彼女と子どもを養い、家庭のような形をつくろうとする。結婚を急いで拒まれた直後だったからこそ、今度は「拒まれない関係」を選んだのかもしれない。

しかしこの生活は、次第に無理を露呈していく。
経済的な不安定さに加え、ゴッホ自身の理想と現実のずれは大きく、彼女の人生を立て直すことも、自分の創作に集中することもできなかった。

最終的に二人は別れ、彼は再び一人になる。

ゴッホは、愛を感情として育てるより先に、人生そのものを背負おうとしてしまったのである。

穏やかなマルホット

シーンとの生活を終えたあと、ゴッホはヌーネンで暮らす。そこで知り合ったのが、近隣に住むマルホットだった。

彼女は未婚で、家族と共に穏やかな生活を送っていた女性であり、年齢はゴッホよりやや上だったとされる。二人は日常的な交流を重ねるうちに親しくなり、やがて結婚を望む関係へと進んでいく。

しかしこの恋は、当人同士の問題だけでは完結しなかった。

マルホットの家族は結婚に強く反対したのだ。 画家として収入も不安定なゴッホに、家庭を支える現実性はないと判断されたことに加え、彼の情熱的で極端な気質も、家族には危うく映った。

関係は次第に行き詰まり、板挟みになったマルホットは精神的に追い詰められ、自ら命を絶とうとする事態にまで至り、二人の関係は終演を迎える。

ゴッホがようやく掴みかけた穏やかな生活は、社会的な現実によって否定されたのである。

生活と芸術が交わったアゴスティーナ

パリに移ったゴッホは、モンマルトルのカフェ・タンブランで、女店主のアゴスティーナ・セガトーリと親しくなる。彼女は店を切り盛りしながら、画家たちの交流の場を支える現実的な女性だった。

ゴッホは彼女の紹介でモデルを見つけ、完成した絵を店の壁に掛けてもらい、冬には彼女の肖像《カフェ・タンブランの女》を描いている。この関係は、恋愛というより、生活と芸術が交差する実務的な信頼から始まっていた。

しかし、関係が深まるにつれ、ゴッホはここでも一線を越えようとする。

彼はアゴスティーナに求婚するが、彼女はこれを受け入れなかった。彼女にとってゴッホは、才能ある画家であり常連客であっても、生活を共にする相手ではなかったのである。拒絶のあと、店の人間関係にも軋轢が生じ、ゴッホは次第にカフェから距離を置くようになる。

マーゴットの恋が、外側から引き裂かれた穏やかな関係だったとすれば、アゴスティーナとの関係は、近づきすぎたことで壊れた距離だった。支え合う生活でも、引き受ける関係でもなく、並んで立つ場所を見つけられなかったことが、この恋の終わりを決定づけている。

ここでゴッホは、生活と芸術が交わる場所に身を置きながらも、対等な関係を維持することの難しさを、改めて思い知らされることになる。


愛の居場所

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共同生活の夢が裂けた夜

パリで新しい絵の潮流に触れたゴッホは、南仏アルルへ移り、「黄色い家」に画家仲間と暮らす夢を据えた。

ゴーギャンが到着してからしばらくは、散歩道や葡萄畑へ連れ立って出かけ、同じモデルを囲んで筆を走らせる日々が続く。

けれど、絵の作り方も、世界の受け止め方も、二人は似ていなかった。想像で組み立てたいゴーギャンと、目の前の現実に賭けたいゴッホ、その差が少しずつ摩擦になり、家の空気は次第に硬くなる。

やがて緊張は破裂し、耳切り事件を境に共同生活は終わった。

ここから先の彼は、発作や混乱など精神的にも肉体的にも悩まされる日々を送ることになる。

それでも彼は止まらず、療養の中でも描き続け、批評家オーリエの高い評価や「20人展」での好評、生前に『赤い葡萄畑』が売れるなど、遅すぎるほどの追い風もようやく立ち始めていた。

麦畑に落とされた深紅の色彩

サン=レミを出たゴッホは、医師ガシェを頼ってオーヴェルへ移り、ラヴー旅館の小さな部屋を拠点に、短い期間に驚くほどの数の絵を描いた。

人との関係は、もはや恋へとは結びつかなかったけれど、彼の愛情は枯れることなく、ただ行き場を変えていく。麦畑、空、道、家々──返事をしないはずの風景に向かって、彼はかえって誠実に寄り添えた。世界が彼を慰めたというより、彼が最後まで世界を見捨てなかった、と言ったほうが近い。

しかし、37歳のとき、彼は突如として筆を置くことになる。

ある日曜日の夕方、ゴッホは胸に深い傷を負いながら、ひとりで宿へ戻ってきた。医師は手の施しようがないと判断し見守ることになった。

やがて弟テオが駆けつけ、兄弟は最期のひとときを共に過ごす。そのとき交わされた言葉のひとつが、テオの手紙に残されている。

「このまま死んでゆけたらいいのだが」

——それは絶望の叫びというより、長く張りつめていた人生から、ようやく解き放たれた者の、穏やかな受容の響きを帯びている。
葬儀には弟テオと数人の画家仲間が集まり、深い喧騒もなく、静かに見送られたという。

その死は、麦畑で自ら銃を放ったとする説が長く語られてきたが、目撃者はおらず、銃創の位置や状況から別の可能性を指摘する声もある。真相は、いまも語られないまま残されている。


ファン・ゴッホの恋愛観とは?

Gogh Starry Night Over the Rhone

彼の生涯を振り返ると、創作と同じくらい、恋愛においても激しく、そして報われない連続だった。

若き日の一方的な恋、結婚を急いだ求婚、救済と同居が混ざり合った関係、ようやく掴めそうだった穏やかな生活の断絶。
彼は何度も誰かと「共に生きる形」を探し、そのたびに現実の壁にぶつかってきた。

ゴッホの恋愛観は、彼が描いた絵をみると伝わってくる。輪郭を曖昧にせず、色と色をはっきり分け、厚く塗り重ねるような関係を望む…。それこそが愛だと、彼は信じていたのかもしれない。

ローヌ川の夜景を見上げたとき、感じずにはいられない。
彼の熱い愛が、いまも静かに輝き続けていると。


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本記事は史実に基づいて構成されていますが、一部に著者の創作・想像表現が含まれます。
歴史の行間にある人間らしさも、どうぞ「物語」としてお楽しみください。

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