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ヨーゼフ2世の恋愛観に迫る|啓蒙君主の裏に秘めた一途な愛とは?

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神聖ローマ皇帝、ヨーゼフ2世。
18世紀のヨーロッパにおいて、これほど情熱と矛盾を同時に抱え込んだ君主はそう多くない。

啓蒙専制君主――その名のもとに、農奴解放や宗教寛容令、行政改革を次々と断行した。
合理と理念を燃料に動くその姿は、冷徹な政治家の肖像画そのものだ。

けれど、歴史の表層だけを追いかけていると見逃してしまうことがある。
彼の胸の奥で燃えていたのは、理念と同じくらい激しく、しかももっと手に負えない――ひとりの青年としての「愛」だった。

その炎は、ときに彼を支え、ときに彼を蝕んだ。
改革の皇帝。その裏側に潜んでいた、もう一つの恋の物語を紐解いてみよう。


大理石の宮殿に生まれ落ちて

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母マリア・テレジアの影

1741年、ウィーン。
オーストリア・ハプスブルク家の栄光を背負う皇帝フランツ1世と、女帝マリア・テレジアの長男としてヨーゼフは生まれた。

家には15人の兄弟姉妹がいた。のちにマリー・アントワネットをフランスに嫁がせることになる、あの大所帯である。

母は強烈なカリスマと鉄の意志を備え、家庭の温もりよりも「帝国の秩序」を優先する女帝だった。ヨーゼフにとって母は、優しい抱擁よりも「教えと支配」の象徴であり、叱咤の声のほうが子守唄よりも身近だったのかもしれない。

そんな環境に育った少年は、早くも「孤独」という言葉を覚えることになる。彼の瞳は幼いころから、不思議に大人びて憂いを帯びていたと伝えられている。

書物と孤独

華やかな宮殿に暮らしながらも、ヨーゼフの心を満たしたのは書物だった。
軍事、法律、宗教――手当たりしだいに首を突っ込み、まだ十代のうちから「皇帝としての義務」を自分の中に刻み込んでいった。

ただ、人付き合いはどうにも得意になれず、母から「もっと社交的になりなさい」と口を酸っぱくして言われたという。
けれど彼にしてみれば、本のほうが人間よりも裏切らないし、黙って知恵を授けてくれる。少年の論理は、いつだってそんなものだ。

ページを繰る手を止めたとき、ふと見せる影のようなまなざしには、権力者の子としての宿命と、ただの少年としての願いが交錯していた。
その狭間で、ヨーゼフの胸は常に軋んでいたのかもしれない。


青年の心を震わせた初恋

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アニーとの出会い

18歳のころ、ヨーゼフが心を寄せたと伝えられるのが、アニー・コルラートという若い娘だった。

伯爵家の出でありながらも、派手さよりも素朴な気品をまとい、時に女官として宮廷に仕えていたとも言われる。

彼女はまだ16歳の少女で、絹のドレスよりも風に揺れる花のほうがよく似合った。煌びやかな場のざわめきの中で、飾らない笑顔を浮かべるその姿は、ヨーゼフの目にひときわ鮮やかに映った。

やがて二人は幾度か言葉を交わすようになり、自然と親しい間柄へと近づいていく。
彼女の笑顔に触れれば心が軽くなり、彼女が咳をすれば胸の奥まで痛む――

そんな、誰もが知っているはずの単純で真っ直ぐな恋心を、皇帝の息子はこのとき初めて味わったのかもしれない。

許されざる想い

だが、この恋には最初から影が差していた。
アニーは皇帝家の花嫁としては身分がふさわしくないとされ、宮廷の視線は冷ややかだった。とりわけ母マリア・テレジアの裁定は、冷たく、明快だった。

「その娘との結婚は、国家にとって無益である」

愛は一瞬にして「政治」という名の巨大な剣に断ち切られた。
まだ若いヨーゼフには、母の意志に逆らう術など持ち合わせていなかった。

こうして彼の初恋は、甘美でありながら、最初から失われる宿命を背負っていた。
そしてその痛みはのちに、彼の恋愛観を深く歪めることになる。

「愛は純粋であればあるほど、政治によって引き裂かれる」
――そんな皮肉を、青年皇太子は胸の奥に刻んだのかもしれない。


愛と政治のはざまで

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イザベルとの短すぎる結婚生活

1760年、ヨーゼフは19歳で結婚した。
相手はスペイン・ブルボン家の王女、イザベル・フォン・パルマ、当時18歳の少女だった。

彼女は宮廷にあふれる虚飾にまみれた貴婦人たちとはまるで違った。
軽い冗談を口にしても、わざとらしく笑わない。何かを決めるときも、他人の顔色ではなく自分の直感を信じる。
その目の奥には、ヨーゼフ自身が抱えるものと同じ「孤独の影」が潜んでいた。

ヨーゼフはすぐに惹かれた。

二人は夜更けに書斎へこもり、本を開きながら語り合った。哲学や宗教を論じ、ときには子どもじみた冗談で笑い合った。皇太子として日々「役割」を演じ続ける彼にとって、イザベルの前だけは「ただの若い男」として息をつける時間だった。

やがて長女マリア・テレジアが誕生し、二人の喜びはひときわ大きなものとなった。父としての自覚が芽生えた瞬間でもある。

だが幸福の季節は、あまりに短かった。

1763年11月、イザベルは次女マリア・クリスティーナを妊娠中に天然痘に罹り、早産となった。生まれた幼子はわずか二時間で息を引き取った。ヨーゼフは必死に彼女を看病したが、その願いもむなしく、イザベルは数日後、21歳の若さでこの世を去った。

妻と幼子をほぼ同時に失ったヨーゼフは、深い絶望に沈んだ。
人は「皇帝は冷酷だ」と語るが、そのときばかりは、宮殿の片隅で人目をはばからず泣き崩れたと伝えられている。


義務としての再婚

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愛されぬ妻、マリア・ヨーゼファ

イザベルを失ってまだ二年しか経たぬうちに、ヨーゼフは母マリア・テレジアの命により再婚を強いられた。
相手はバイエルン選帝侯の娘マリア・ヨーゼファ、当時19歳の敬虔な女性だった。

彼女は夫を慕ったが、ヨーゼフの心は終生イザベルに囚われたままだった。容姿や振る舞いに辛辣な言葉を残すことすらあり、その冷淡さは周囲を驚かせたという。

妹マリア・クリスティーナは「もし私が兄の妻だったら、絶対に耐えられない」と書き残している。夫婦の間に温もりは芽生えず、結婚生活は不幸そのものだった。

そんな冷え切った関係のなかで、ヨーゼフにとって唯一の救いは、最初の結婚で授かった長女マリア・テレジアだった。だが彼女も病弱で、わずか8歳で命を落とす。
妻と次女に続き、未来を託すはずだった娘までも奪われたヨーゼフは、家族という言葉の重さに、ますます耐えられなくなっていった。

1767年、マリア・ヨーゼファは天然痘に倒れた。姑マリア・テレジアは病床を見舞ったが、夫ヨーゼフは冷たい距離を保ち続けた。やがて5月、彼女は21歳の若さで短い生涯を閉じる。だがヨーゼフは葬儀にすら姿を見せなかったという。

残されたのは、愛し合う夫婦の物語ではなく、政治のために結ばれ、最後まで温もりの芽生えぬまま終わった婚姻の記録だった。

政治の炎と愛の渇き

30歳を過ぎ、皇帝に即位すると、ヨーゼフは徹底して「合理」を追い求めた。
農奴制の廃止、宗教寛容令、僧院の整理――次々と改革を断行し、人々を自由にしようとした。だがその自由はあまりに急で、かえって反発を招いた。

昼は理念と理性に燃える彼も、夜は孤独に焼かれていた。
書類に判を押す手は迷いがないのに、ベッドに横たわるときの瞳は、いつも遠くを見つめていた。

妻マリア・ヨーゼファが亡くなった後、ヨーゼフは再婚することはなかった。最愛の人を失った心の痛みに加え、政治的にも必要性は薄れていた。後継は弟レオポルトに委ねる体制が整い、母マリア・テレジアも健在。兄弟姉妹たち(マリー・アントワネットを含む)が政略結婚で「家門の役割」を果たしていたからだ。

それでも孤独を抱えたまま生きるのは難しい。ヨーゼフはときに愛人を迎え入れ、肉体的な慰めを求めた。宮廷の侍女や女官であったとも、ウィーンの知識人階層の女性であったとも言われる。
だがそれは長く続く絆ではなく、心の空白を一時的に埋める灯りにすぎなかった。

彼の胸を本当に温めたのは、若き日のアニーの微笑みと、短すぎた春のように過ぎ去ったイザベルの声だけだった。

「愛は国のように征服できない」
その事実に気づきながらも、ヨーゼフは最後まで、合理と孤独のあいだで揺れ続けた。


病と共に沈む皇帝

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肺病に蝕まれて

40代半ば、ヨーゼフの体は肺病に蝕まれていた。
昼はなお皇帝として改革の指令を出し続けていたが、夜になると咳は止まらず、胸の痛みで眠れぬ日々が続いた。

政敵は増え、掲げた理想は次々と頓挫していく。
「啓蒙専制君主」と称えられた男は、次第に孤立の深みに沈んでいった。

そんな夜、彼はしばしば机の引き出しをそっと開けた。
そこには、イザベルが死の直前に残した手紙がしまわれていたと伝えられている。

紙は黄ばみ、文字はかすれていた。
それでも「私はあなたを愛しています」という一行を指でなぞるたび、彼は病の苦しみを忘れるように目を閉じた。

「消えない手紙」。
それは、愛を失い続けた皇帝が最後まで生きる力を見出すための支えだった。孤独な夜に彼の心にいたのは、やはりイザベルただ一人だった。

最期の瞬間

1790年、ヨーゼフは48歳で生涯を閉じた。
病床を見守ったのは侍医や侍従にすぎず、多くの兄弟姉妹はすでに各国に嫁ぎ、枕元に近しい家族の姿はなかった。

「生涯で、本当に幸福だったのは、あの数年だけだ」

そう呟いたとも伝えられている。
もしそれが事実なら、彼が胸に抱いていたのは、若き日にイザベルと過ごした、あまりにも短い幸福の記憶だったのかもしれない。

一途で、報われない皇帝

ヨーゼフ2世の恋愛を語るなら、それは「一瞬で燃え尽きた愛」と呼ぶべきだろう。
初恋は奪われ、再婚は義務に終わった。だがイザベルとの短い日々には、愛の喜びも痛みもすべてが凝縮されていた。

その時間があまりに強烈だったからこそ、彼は二度と同じ炎を灯すことができなかったのだろう。晩年までイザベルの手紙を手放さなかった姿は、その証のように思える。

考えてみれば、彼は帝国の法律を変え、修道院を閉ざし、農奴を解放しようとした。
だが、心に住みついた一人の女性の幻影だけは、死ぬまで追放することができなかった。

政治の舞台では「改革者」であっても、愛の舞台では「報われぬ人」。
それでも彼が手放さなかった純粋さは、もしかすると帝国のどんな勲章よりも価値があったのではないだろうか。

本記事は史実に基づいて構成されていますが、一部に著者の創作・想像表現が含まれます。
歴史の行間にある人間らしさも、どうぞ「物語」としてお楽しみください。

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